GRACE  仲間の手記            


CoDAにつながるまで/Anonymous_2

ある日の朝、兄から僕へのメモを見つける。


○○○へ

おれはもうつかれた

お父さんのところへ行くから

おれのことはさがさないでくれ

            ○○

………………………………………………


 幼い頃から兄の知的障害の問題は出始めていた。僕はといえば病弱で常に何らかの形で病院と関わっているような子供だった。母は依存心が強く自分で物事を決められない人で常に父に頼っていた。父は僕や兄を見ようとはせず、里子を預かり始め、その子を溺愛した。それが現在の弟になる。弟は体が強くリトルリーグで野球を始める。父は、家では常にお酒を飲む人で母をなじるのが習慣になっていたが、弟が活躍したときだけは機嫌がよく、弟にしてみれば家族の雰囲気を一手に引き受けた形でつらかっただろうと思う。野球推薦で高校に入るが、ある病気を発症し野球を続けられなくなり退部、授業にもついていけなくなり退学し、そこから引きこもりが始まる。その頃から父は飲むお酒の量も増え体を壊し、弟の退学から数年後に亡くなった。この父の死がきっかけで僕と家族の共依存生活が始まる。


 まず、父の死後すぐに母が強度のうつ状態になり、まず、食事・洗濯等の家事全般が僕の役割となる。それとあわせて転倒による足の怪我と高齢のため次第に動かなくなり体力も落ち介護が必要になった。当初、何とか良くならないかといくつもの病院へ連れて行ったり、介護保険その他もろもろの役所関係の手続き、デイケアの付き添い、体調の悪いときは下の世話・・・・等々、対応に追われていた。それと平行して、弟の引きこもり状態が続いていたので何とか社会参加させようと躍起になった。まずはアルバイトでもいいから仕事をさせようと職を探す。資格を取って自信を持たせるために教習所にも通わせる。弟は社会に出ること、人と接することを恐れていたように思う。本人が望んでいないことを強制しているのでトラブルが続く。弟が家のお金を持ち出したこともあった。そんな中、兄に対してはなるべく自分のことは自分で出来るようになってほしいと考え、逆に言うと今まで親が手を出しすぎていたので、可能な限り日常のさまざまなことを任せようとしたが兄がうまく出来ないときになじってしまうことが続いていた。僕自身、仕事がうまくいかずもがいていた。


 父や母は、兄の自立をどうするかということにきちんと向き合ってこなかったように思う。兄の将来は僕に任せようと思っていたと思う。僕は苦しさを感じつつもそうなるだろうと思っていた。僕は子供の頃、大人になっても家から離れることが許されないと思っていた。実際、社会人になってから一時期、家をはなれることがあったが罪悪感をもってしまい戻ってしまった。本来親が子供にしなければいけないことは、子供のありのままの姿を認め子供が子供自身の人生を生きること認めること、家族に残ることも離れることも自由、その子供がこの世の中で1人で生きていけるよう勇気付けをし育てること、と思う。

 兄が僕に依存せずに自立するために、家から出てグループホーム等の施設に入るというようなこともありうるかもしれない。兄自身がそれを望むのであれば家族やその他回りの人間は、かわいそうと思わずに、ありのままの兄が無理をせず(努力しない、ということではなく)生きていく手助けをすることが保護者の仕事であり、それを幸せかどうかを決めるのは保護者や周りの人間ではなく本人である、と今は思う。

 父が亡くなってからこの数年間、いや、子供のころからずっと、僕は兄のことを一人の尊厳ある人間であると認めてこなかった。ありのままの兄を認めてこなかった。出来ればいなくなってほしいとさえ思った・・・


………………………………………………


 兄は、この日の夜遅く、幸いにも見つかった。


 この後もいろいろあって兄の会社の方と相談し、精神的な問題が大きいのではないかということでしばらく休職することになった。その休みを利用し、行政からきちんと兄の障害認定を受けた。会社のほうは入社時点で障害者枠で入っているので行政から認定を受けても問題はないのに何で父は申請しようとしなかったのか。まあ、受けられる公的サービスで本当の意味で助けになるものってあまりない。ただ、本人が希望すればグループホームに入ることも可能になった。それだけでも僕の気持ちはかなり楽になった。


 このころ同時に、僕自身が「AC」・「共依存」かも知れないと考え始め、関連の本を読み漁ったり、自助グループにも通い始める。が、家族との関係が好転せず苦しい日々が続いていたある日、ある仲間から「○○さん、家族のことばかり話して、自分のこと話してないよね」といわれた。と同時に、<すべての苦しみは自分自身が作り出している>という言葉と出会った。

 ありのままの自分、ありのままの状況を受け入れたいと思った。こう思い始めた頃CoDAにつながった。この頃から本当の意味で「共依存症」のことがわかり始めたと思う。仲間と出会い、自分の内面の弱さやずるさと向き合う勇気をもらった。


 現在、弟は仕事に就き、兄も復職した。母の状態は一進一退・・・っと、まずは自分のことをしっかりしないとね 。


 ーーーAnonymousーーー